想像すること

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「授業中、テロリストたちに学校が襲撃され、教室の天井が音を立てて崩れ落ちる。意識はある。どうやら死んではいないみたいだ。

瓦礫がうまい具合に自分を包むテントのように倒れていた。薄暗いそこでふと横に視線をやると、Mさんが泣いている。ああ、この子も助かったのか。よかった。そう思って近寄ると、Mさんは瓦礫を指差した。先では瓦礫に押しつぶされ血と黒粉にまみれた友人Sくん。息はもうない。僕はそっと彼女を抱きしめキスを。

そのまま僕ら2人はSくんの目の前で初めてを済ませる。」

 

僕が小学生の頃に毎日布団の中でしていたイメージトレーニングです。

ダニの温泉

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いつものように布団をひいていて、ふといつもとは何か違うことに気づいた。においだ。

そういえば今日は久しぶりに布団を干したのだった。
そのまま顔をうずめて鼻からにおいを吸い込む。ああ、いいにおい。
と、そこで思い出した。干した布団のにおい(“太陽のにおい”とかいう人はきらい)は布団に潜り込んだダニが死んだ、その死骸のにおいなんだということを。
たぶんそれは違う。だってすごく元気なにおいがするんだもの。
そもそも死のにおいというのはもっと陰気めいたもののはずである。
きっと「いい気分ダニ〜」とか言ってるダニがビョンビョン飛び跳ねているのである。その元気さがにおいになっているのだ。

布団から顔を離すと無性に鼻がもしゃもしゃした。
花粉症の季節である。鼻水はもりもり出る。
そっとその鼻水のにおいをかいでみる。
猛烈に陰気なにおいに襲われ顔をそむけた瞬間、くしゃくしゃのティッシュから「粘膜は嫌いダニ〜」と聞こえた気がした。

苦労してない手

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母親の手はいつも荒れている。母親に肌荒れはつきものだと思うけど、ウチのは喫茶店を営んでいるから、家族の分に加えて毎日5人家族10人分くらいの炊事をしていることになる。併設している花屋も水を使う仕事なのでさらに追い打ち。そりゃあ大荒れ必死も当然。毎日のハンドクリームも甲斐なく風前の灯火。

まだ学生の頃、母親の手を見ながら「手ぇカッサカサやな」と言ったことがある。「それだけアンタらを育てんのに苦労したんや」と返ってきた。意味がわからず呆けてしまった。「アンタはまだまだ苦労してない手やなあ」と言いながら僕の手を取る母親のそれは落ち葉みたいだった。

それから数年経ち、僕は今地元を離れ一人で暮らしている。
ついさっき風呂で湯船に浸かっていたとき、ふと手の甲を見るとお湯が肌に染み込んでいることに気付いた。「私らもう手に水つけたら吸うてまうから」と上沼恵美子が笑っていたのがフラッシュバックした。

ああ、こういうことか。まだしっくり来ないけど合点がいった。
水分が減り体積ばかり増えていく身体と母親を思いながら、今ピラフ食べる。

夢の食料品売場

エスカレーターから食料品売場の雑多な食材の並びを見下ろしていて、ふとおもちゃ屋さんみたいだなと思った。

幼い自分はデパートのしょぼくれたおもちゃ売り場でも、そこで売られているものは何でも欲しかった。たとえ自分に必要のないものでも欲しかった。お城のプラモデルなんか全然要らないのに、親に「ガンダムはダメだからね」と言われれば渋々城を持っていくくらいには何でも欲しかった。

24になって、一人暮らしを、自炊をし始めてから同じ事を食料品売場に対して感じている。
どう料理すればいいのかわからないズッキーニが欲しい。どう使えばいいのかわからないナツメグも欲しい。絶対食べきれないけどキャベツはやっぱり一玉欲しい。
安いのがまた困りもので、お勤め品にそれらの品が並んでいれば迷わずカゴに入れてしまう。
定価販売が基本のおもちゃに比べて食料品は値下げがあるだけ良心的だなと思いつつ、幼い頃から何も変わっていない自分の姿が「たまご198円」と書かれたプラカードにうっすらと映っている。一個19円の玉ねぎを幾つ買うかで悩んでいる姿が映っている。